母の命日に想う


昨日10月31日は母の命日。
母がいなくなってからのこの3年は色んなことがあった。
そのせいか、5年にも7年にも感じる。
どんな時も味方になり応援してくれた母。
自分のことのように悲しみ、心配してくれた母。
3人目の子が産まれた今、生きていたらどんなに喜んでくれたことだろう。

父は50歳でこの世を去った。
僕は20代半ばの頃で、孫を見せるどころか、親孝行は何もできなかった。
ある夜、父は近所の行きつけの小料理屋に飲みに誘ってくれたことがあった。

「お前は挫折を知っているから大丈夫だ。」
「その分、人として成長できるし、人の痛みもわかる。」
「いつか実を結ぶ」

カウンターの隅の席でそんな風に励ましてくれたことを思い出す。
長年、新聞社勤務で心身をすり減らしていた父からすると、
僕のような人間は「何をやっても中途半端でダメなヤツ」と言われても仕方ない状態だった。
父からの励ましは意外だった。

失敗ばかりで自信を失いかけていた時に、親が認めてくれていたこと、
意識せずともそれは心の奥底で大きな力になっていたように思う。

時を経て、3人の子の親になった。
どんな風に育てていこうかと、ぼんやりと思うことがある。

親が敷いたレールの上に乗っかる子供、
親の想定内の人生を歩む子供。
そんな子供なら親も楽だし、心配もしないだろうか。
「自分たちの子育ては成功だった」と胸を張れるのだろうか。

けれども、想定内におさまる人生ばかりではない。
これからどんな世の中になるのかもわからない。
親の想定外の世界へ飛び出そうとすることもあるだろう。
それは、別の角度から見ると自立しようとしている、ことではないかと思う。
あがいているだけかもしれないが、
人生を独りで切り開こうとする自立のためのあがきだ。

それは、子が成長している証しである。

「想定外の行動をとる子供が許せない。」
「知らない世界へ飛び立とうとすることは認めない。」

という考えで足かせにならないようにしたい。
自立しようとする子を認められる親でありたい。
自分を乗り越えて、自分の器以上になろうとする子の成長を喜べる親でありたい。

学校を卒業しても、就職もせずアルバイトの身分だった。
親から見ると僕はずいぶん勝手なことばかりして挫折・失敗を繰り返していた。
将来どうなるのか、五里霧中の不安と恐れの中であがいていた。
悪い意味で大いに親の想定外の道を歩んでしまった。
それでも、認めてくれていた。
お前は大丈夫だと期待して応援してくれた。
この事を忘れないでいたい。
亡き二人に恩返しすることはできないが、
親から受けとった暖かいものを、自分の子にも引き継いでいきたい。

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一昨日、妻と娘が家に戻りました。
応援していただいた方々に、感謝しています。
ありがたく感じています。
新しい家族を迎え、5人での生活がスタート。
未熟な僕には未だ先行きはおぼろげにしか見えてません。
せめて、今をしっかりと生きていこうと思う今日の日でした。